「ハリウッドのライオン」 ルイ・B・メイヤーの生涯と伝説 その3
2007-04-13



 時にフリードとメイヤーの信頼関係が思いがけない成果を生み出すことがあった。フリードは仕事上の会合でプラザ・ホテルに出かけ、ブロードウェイの伝説的スター、ジョージ・M・コーハンと同席したが、コーハンの開会の挨拶に驚くことに なった。
 「実は・・・・・・ルイ・メイヤーには長い間会っていないが、私の母に対して親切にしてもらっていたんだ・・・・・・いつも母に気を使ってくれて、劇場の席もとってくれたんだ。」
コーハンは最終的に「リトル・ネリー・ケリー」を三万五千ドルという格安の値段でフリードに売ってくれた。

 フリードには「散らかす」どころの騒ぎではなく、「薄汚い」と言ってもよいほどの性癖があった。
「彼の車の後部座席はデリカテッセンの包装紙であふれていたの」とベッツィー・ブレアは言った。「初めて彼の家に行ったときに思ったわ、『この男にフランス印象派の絵画を所有する資格はない』って。」
 ジュディ・ガーランドはフリードがやって来るのを見るとよく言ったものだ。「ほら、タンクが来たわよ」
(註; いろいろなものを満載しているという意味か?)

 しかしフリードのミュージカルには独特の質の高さや、魅力があった。さらに歴史の重みも備わっていたが、これはL.B.がセント・ジョンやハーヴァーヒルにいた若いころに強く惹かれた演劇的正統性を大切にした結果である。「巨星ジーグフェルド」「美人劇場(Ziegfeld Girl)」「ジーグフェルドフォリーズ」といった映画でフローレンツ・ジーグフェルドの遺産を大切にしてきたのは、MGMがこの偉大なショーマンの後継者であると宣言していたことを意味している。

 フリードの制作した「ブロードウェイ」にはミッキー・ルーニーとジュディ・ガーランドが古びた劇場を探険するシーンがある。
 「どの劇場もお化け屋敷さ」とルーニーは言う。「この劇場で上演されたすべてのショーを考えてごらん。失敗もあれば成功もある。つまらないショーもすばらしいショーもある。その全部が今ここで僕たちを取り囲んでるんだ。笑いや喝采、歓声が。」
 ミッキーとジュディはここからリチャード・マンスフィールドやサラ・ベルナール、フェイ・テンプルトンにジョージ・M・コーハンを再現しようと突き進んでいく。フォークナーが述べたように、過去は死んでいない。過ぎ去ってさえいないのだ。

 フリードは管理的業務をロジャー・イーデンスのような人たちにかなりの部分頼っていた。また、コンラッド・サリンジャーらにはMGMミュージカルに特有のオーケストラの響きを作り上げさせた。ある作曲家はその特徴を次のように述べている。「大いなる弦楽器のもやの中を、とてもセクシーな管楽器の響きが漂っていく・・・・・・・歌声を包み込みながら。」

 ジョージ・シドニーは回想する。
 「ある日私はフリードや脚本家と会議を開いていた。脚本家と私が議論していると、途中でアーサーが言ったんだ。『ちょっと用事があるから、このまま続けててくれ。』  十分たっても二十分たっても彼は戻ってこなかった。会議を終えて外に出る途中、喫茶室のそばを通るとフリードが一人でコーヒーを飲んでいるじゃないか!  彼はいわゆる『大物』になる気はなかったんだ。皆を集めてくる才能だけが望みだったんだろうね。」

 その結果が六十年後の今日までミュージカル映画の手本となる一連の作品に実を結んだのである。

 「私たちは皆、フォックスやワーナーブラザースの上を行ってることを意識していたのよ。」とベッツィ・ブレアは語る。「ミュージカルを作る最高のスタジオにいることもわかってたわね。みんな信じられないくらいミーハーだったの。ベティ(コムデン)にアドルフ(グリーン)と私でフォックスのミュージカルをよく見に行ったんだけど、まるで違う惑星で生まれた作品みたいに見えたわ。」

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[ミュージカル映画]

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